モンテッソリー教育の実践
親であるために重要なこと#1
2021年 11月27日
我が家の長女は毎週土曜日に習い事があります。
ちょっと遠い場所なので、送り迎えはパパの仕事になっています。
(#ママが行って、残ったチビちゃんの相手はもっと厄介。。。)
今日は、いつもより集合時間が早く、昼ごはんの時間が短くなってしまった上に、長女が準備の合間に遊んでて出発の時間は遅れるし・・・
道路は混んでるし、火事で通行止めがあり迂回したり・・・・通常、残り40分はかかる道のりなのに、後、25分しか残っていない。
そんな時の娘の一言に、完全にキレてしまったのです。
「トイレに行きたい・・・・・」
長女はオシッコを多く貯めておけない特性を持っているので、家を出る時にはトイレに行く!が約束です。
なのに家を出て、25分でトイレとは・・・・
「出る前にトイレ行った?」 に対して、「行かなかった。」 と彼女!
なんで行かなかったんだ!!!! イラついた気持ちをそのままに娘に当たってしまったのです。
子供にとって何もいいことがないのはわかっているに、その場のイライラが止められませんでした。そして娘にその感情をぶつけてしまいました。
社会人の基本として時間は守らなければいけない! 教育のためだ! 多少は強く言っても大丈夫。・・や、娘はパパを好きだし強い子だから・・・とか。。言い訳ばかりが頭に浮かびます。
それでも、やっぱり後味が悪い。私の行動は完全にアウトです。
そこで、自分は何に腹が立ち、こんな行動をとってしまったのか? 再発防止のために原因を探りました。
(#娘の習いごとを待っている時間は仕事をしているのですが、今日は全て反省の時間になりました。)
■大人と子供。リズムの違い
誰しも固有のリズムに沿って生きていると思うのですが、子供と大人のリズムは、決定的に違います。
下の息子(1.5歳)は流石に赤ちゃん+αなので、大人のリズムを強制することはないのですが、
(#強制しても絶対についてこれないことが一目でわかるから安全)
長女(7歳)に対しては、もう大人のリズムがわかるでしょ。だから、こっちのペースで動いてくれよ!
と勝手に大人扱いをし、彼女の精神に寄り添いもせず、彼女が自分らしく生活する権利を奪ってしまいがちです。
これは、今回のことに限らず、息子が生まれてからこのかた、日常生活の時間が足りないために、恒常的に続いてしまっている現象です。一言でいえば、僕が娘に甘えているのです。
■大人のと子供、ルールの違い
また、大人と子供では生きる上でのルールが違います。
大人は、人間が人工的に作った社会の中で、円滑に生産活動が行えるような共通のルールの上で動いています。
「時間を守ろう」みたいなことを手始めに、周囲に気を使う事が大人のルールで、大人の生活です。
しかし、子供は違います。自分の興味のある事柄に集中し、いろいろな経験や刺激を吸収しストックすることが一番大事なルールで、そのことにより神経細胞が活発化し心と体が整って行きます。
大人は、人のために動き、子供は自分のために動きます。
それぞれにとって、それが幸せになるための近道だからです。
いつも問題は、この大人の世界と子供の世界の境界で起こります。
今回のことで言えば、大人生活が決めている時間のルールを無視すればいいだけのことで、子供の生活の中に、大人ルールを持ち込まなければいいだけのことです。
子供の動作を大人の尺度で図るからイラついてしまうのです。
子供には子供の理由があります。
娘が習い事に行くときは、必ず、息子は大泣きします。
自分も連れて言って欲しいのです。いや、連れて行かれることが自然なことだと主張しているのです。
そこで娘は、弟の気を引きながら上手にタイミングを見計らって玄関から出てきたためトイレに行けなかったのです。
(#なんとも大人的な理由で娘は板ばさみにあった・・・)
「教師は自分の心から怒りと自負心を駆逐し、謙虚になり。愛情に身を固めることを学ばねばならない。」
モンテッソリー先生の言葉です。
子供は素晴らしい。 それに気づかない大人の問題でした。
今回は猛省です。
帰宅時に娘に、しっかりと謝罪をして仲直りです。
怒りと自負心を駆逐し、謙虚になり愛情で身を固める。
日々、鍛錬です!